編集後記でちょこちょこ書いていたのですが、
両親が大阪に遊びに来る、という年に一度の大イベントが終了しました。
父は脳溢血で倒れてからリハビリに精を出し、
去年初めて来てもらって、今年は二度目でした。
その一週間は、両親の様子を観察したり、
私にはどんなサポートが可能なんだろう、
やる方がいい事と、やらない方がいい事の区別はどこですればいいのだろう…
などと考えていました。
そして、父は倒れてから障害者になったのですが、
その父の弱さと強さなどを見て、
母と父との間に流れるエネルギーを見て、
学ぶ事がたくさんありました。
そんな事もあって、最近よく「弱さ」や「強さ」について考えるのですが、
今回は「身体の弱さ・病気・障害・不調」をメインに考えてみます。
大きな間違い
私たちの身体は生ものですから、怪我をしたり病気をしたり、
生まれながらの障害もあるし、
何かで障害を持つようになることもありますね。
それから、見かけ上の弱さもあります。
筋肉がついていないとか、貧弱に見える身体つきをしているとか。
医学や科学の発達は、「病気や障害は克服できるかもしれない」という希望をくれたけれど、
これは実は希望ではなく、「妄想」だったんです。
ちょっと考えてみれば分かることですよね。
医学は未だに風邪を治すことはできないし、
ウィルスと抗生物質との戦いは、ウィルスがどんどんバージョンアップしてゆくので、
果てしないイタチごっちですね。
精神科領域のお薬は、副作用が症状を創り出すことも多いと聞きます。
抗ガン剤は、ガン細胞だけではなく、
私たちの身体本体をもやっつけてしまったりします。
そういった事実は、何を示しているのでしょうか?
症状や病気と戦うと、負けるんです。
征服、克服、絶滅を目標にしたとき、私たちの戦いはすでに「負け」を宣告されています。
これ、ものすごく大切な事です。
私たち、戦うのがとても大好きで、
勝ちたいですよね。
ゲームでも実生活でも、私たちは戦って、勝ちたい。
そういうあらがいがたいエネルギーを持っています。
でも、そのエネルギーをそのままで使うと、私たちは必ず「負けます」
健康は勝ち取るものではない。
強ささえも、勝ち取るものではないです。
何かに勝つことが、自分の強さの証明になると考えたくなりますが、
違います。
その事、お話しますね。
もう一つの間違い
そしてもう一つの大きな間違いは、
「健康が基本」だと考える事です。
健康な状態にあると、そのありがたさを忘れてしまいがちだし、
それが普通であり当然の状態だと思うけれど、
私たちの身体は、病気をしたり怪我をしたりするようになっています。
人の身体の構造は、完璧であり全体性を持っているけれど、
三次元で生きること、三次元で学ぶことを決断してやってきた私たちの身体は、
私たちに使える最高の乗り物であり奉仕者であり、
あらゆる手段を使って、私たちに気づきと学びのチャンスを与えようとしてくれています。
そのために、身体は「不調」や「病気」や「障害」を使います。
ではそのチャンスに気づき、何かを得るためにはどうしたらいいのでしょうか?
一過性の不調や病気、怪我
小さな怪我、躓いて転ぶ、ちょっとした不調などは、
それが起きたその時に、あなたが何を感じ考えていたのか、
何をしようとしていたのかを思い出してください。
何かが違うよ、というサインである事が多いです。
勿論手当は必要ですが、その時に何が自分の中で起きたのか、
丁寧に思い出してください。
きっと何かが分かります。
もしかしたら、直感のささやきを無視したのかもしれないし、
本当はイヤなのに、いい顔をしてしまったのかもしれないし、
何かがあるはずです。
慢性的な不調や病気
慢性的なものは、医学的処置で完治することが困難である場合が多いのですが、
そのテーマはそれだけ深く、あなたの今回の人生のテーマに絡んでいる、
という事です。
その症状や病気、不調と戦うのを、今すぐに止めてください。
治そうとする、その努力を少しだけ止めてください。
そして、長い間あなたとともにあるその「病気・不調・障害」が、
あなたの守護神や指導霊からの贈り物であるとしたら、と考えてください。
もし借りにそれが贈り物だとしたら…
あなたはそれをたぶん、受け取ってこなかったでしょう。
その「病気・不調・障害」を贈り物として受け取る自分が想像できますか?
その贈り物、プレゼントボックスの中には、いったい何が入っているのでしょう?
その病気や不調、障害を得たことで、
あなたは何を体験し、何を学んだのでしょう?
その病気や不調、障害がなかったとしたら、得られなかった事をあなたは得ているはずです。
その病気や不調、障害がなかったとしたら、やってしまっていた事があるかもしれませんね。
生まれつきの障害、遺伝的なもの
あなたはこの障害この遺伝さえなければ、と思った事があるかもしれませんね。
そして遺伝子をくれた両親を恨んだかもしれません。
子供さんに障害がある方は、
自分をのろい、罪悪感を持ったかもしれませんね。
私もそうでした。
自分を責めるのが辛いので、なるべく考えない様にしました。
私とは関係のない事だと思おうとしました。
でも、娘とのつきあいを通して、
障害の意味が分かってきました。
生まれつき持って来ているものは、
その人が生まれる前から、ちゃんと計画して持ってきたものです。
それだけあなたは、あるいはあなたの家族は、
今回の人生に賭けているんです。
あなたの家族の障害は、
もしかしたらあなたに何かをもたらすために、
その人が天で計画してきたのかもしれません。
あなたのために、障害のある人生を選んできたのかもしれませんよ。
人生の途中で遺伝子にスイッチが入って発病するものなども、
本当に深い計画と思慮のもとに、タイミングを計ってもたらされたものに違いない、
と私は信じています。
そしてこれは証明ではないです。
私の経験から、私にはそうとしか思えない、というだけですから、
違う感覚を持っていらっしゃる方もいるでしょうね。
だから信じる必要はないですよ。
こんな考え方もあるのだと、ただ流してくださっていいです。
あなたがもし…
あなたがもし、自分の中の強さだけを求めて、
弱さを排除しよう、克服しようと思ってきたとしたら、
なんとか強い自分になりたい、と願っているとしたら、
自分の弱さゆえに、後悔を引きずっているとしても、
弱さを祝福として受け取ってください。
元々、人間は弱いものなんです。
私は弱さを抱えているし、
あなたも弱さを抱えている。
基本は、弱さです。
「共依存から共生へ」という事を私はずっと考えているのですが、
共生とは、依存しないことではないです。
依存したままで、共生できます。
弱さや障害を持つ私たちは、完全な自立をすることは不可能です。
人間は、そのようにはデザインされていません。
私たちは、ある部分で誰かに依存しながら、
自分の弱さを受け入れて、出来ないことは諦めて、
弱いままの自分で出来ることだけをしてゆけばいいのです。
弱さを十分に受け入れると、あなたは自分の中にある強さに気づくようになるでしょう。
強がりではなく、本当の強さに気づくためには、
自分の弱さを徹底的に知って受け入れて行かなければなりません。
それは辛い作業です。
でも、それをしてゆくと、あなたの中に強さがちゃんと存在している、
というリアルな感覚が手に入ります。
誰かに保証してもらったり、
何かと競争して勝ったから強いのではなく、
何の根拠も証拠もなく、ただ、あなたは自分の中の強さに気づくでしょう。
これが本物の強さです。
そして、強さを発見しても、弱さはなくなりませんから、
やはりその部分では誰かに依存して生きてゆきます。
強さを発見しても、あなたの弱さはなくなりません。
そのまんまです。
それでいいんです。
出来ない所、弱い所を誰かに依存しながら、
出来る所、強い所がいつのまにか生かされていて、
お互い様、お陰様の共生の生き方ができるようになります 。
病気や不調、障害を「あってはならないもの」と思っていませんか?
子供が熱を出すと「何で熱を出すんだっっ」とか
「ほら見てごらん、私の言う事を聞かないからよ」
などと怒りをぶつけてしまう親がいますが、
それはその人が、子供をコントロールしたいのに、
出来なかった腹いせをしているだけです。
未熟なんですね。
そういう親は、子供さえも自分がコントロールできるものではない、
という事を学ばなければならないのでしょう。
(これ、過去の私のことです)
家族の健康管理をする事が主婦の仕事の一つだとしたら、
家族の病気や不調は、主婦であるあなたの失敗になる、
と考えてしまうかもしれませんね。
あの時にああしたらよかった、とか、
早めにこうするのだったとか、
様々な後悔と罪悪感がわいてくるかもしれません。
健康管理は大切だけれど、
やりすぎず、無関心でもなく、中庸の道がベストですが、
中庸ほど難しいものはありません。
未熟な魂は、やりすぎるか無関心かに偏りがちです。
そしてたとえ中庸の道が歩めたとしても、
やっぱり人は不調を訴えたり、病気になったり、障害者になったりします。
どれほど努力しても、いつかはどこかが壊れます。
そこはもう、諦めてください。
病気も不調も障害も、私たちの最高のパートナーです。
守護神さまからの、最高の祝福です。
それらは、なくそうとするのではなく、
メッセージを受け取り、共に生きてゆくものです。
病気になる時には、なればいいです。
怪我をする時には、したらいいです。
障害者になるなら、なればいいです。
与えられるものは、受け取ってください。
与えられた祝福を受け取って、
そして今の自分に出来る事をする。
食生活の見直しや、日常生活のリズムを考え直す、
人間関係でのストレスに対処する。
嫌いな人とは会わないようにする。
など、やるべき事をしながらも、
病気や不調、障害の語ってくれる言葉に耳を傾けながら、
ともに生きてゆくのです。
そこから、「共依存から共生へ」の道が開けてゆきます。
何かに依存したまま、依存されたまま、共生してゆくことが可能です。
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