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あなたへのメッセージ  奇跡〜三次元の愛の形


このメルマガでも、父の事を何度か話題にしてきたのですが、
今回も父ネタです。

初めての方のために、簡単に説明します。
私の父は5年前に脳溢血で倒れてから、非常に熱心にリハビリをしてかなりの回復をしました。
が、今年に入ってから、身体機能がまた低下しています。

去年の年末ごろまでは、私が大阪に戻る時には、杖をついて200m〜300mくらい一緒に歩いて見送ってくれました。
先日実家に行った時は、寝床から起き上がるのが精一杯でした。

父はかなり凶暴ではた迷惑な部分を持っている人で、
仕事はよく出来たのですが、自己中心的で他人の感情や事情というものが全く理解できないというか、存在しないんです。
起きている時間の80%は怒りが支配していて、
いつも母を怒鳴りつけていました。

あんな扱いを受け続けたら、普通だったら父に深い恨みを持ったり、
うつ病になったりするでしょう。
母にはそれがありません。
父のために、父の事だけを考えて生きてきた人なので、
ののしられても、怒りの標的にされても、
ちょっと凹むけれどやはり父のためだけに生きてきました。
母は「私の母」ではなく「父の妻・父の召使い」なんです。
そしてそれが好きで、やり通しています。

私は思春期以降、父と壮絶な戦いをした時期があります。
人の気持ちを全く理解出来ずに、自分の価値観だけを強引に押しつけてくる父の態度に、私はいつも深く傷つきました。
そして結婚してからも、何かあると私の気持ちを無視して、
「お見舞い金」をくれる父が大嫌いでした。


死にたい、けれど…



先日実家に戻った時、母がいろいろな話をしてくれました。
父の状態があまりよくないので、母はとても凹んでいます。
父がいずれ旅立つだろうという事が、頭では理解できていて準備もしているのに、
気持ちがついて行かないようなのです。
寂しくて、何もする気がしなくなってしまったそうです。

で、話していたら、

父が倒れる前の元気だった頃、脳梗塞などで倒れて後遺症の残っている人を見ると、
「俺はあんなふうにだけは絶対になりたくないっっっ 絶対にイヤだ、ぽっくり死にたい」と
いつも言っていたそうです。

それが5年前に倒れて、一番なりたくない姿になってしまったので、
「死にたい、死にたい、何であの時に自分を助けたのか」
と母にいつも文句を言っていたのだそうです。

プライドの高い父が、倒れて身体が不自由になった事を、
どれほど悔しく思っていたことか…

父がこんな風に「死にたい」と言うという話は母から聞いていましたが、
父は私に直接それを言った事はありません。
だから、機嫌が悪くなると母への八つ当たりの一つとして、そんな言葉が出るのだろうと思っていました。

で、先日もその話が出て、母が言いました。
「死にたい、死にたいってお父さんはずっと言っていたから。
それからいつも言うのは、
『いずみはちゃんと生きていける。
でも二人の子どもはなんとかしてやらなければならない。
何とかすると言っても、俺に出来る事はもう何もない。
だから、年金をもらってそれを貯めて、お金を渡してあげる事しか出来ないんだ。
だから死にたいけど俺は自殺はしない。』って。」

とよく言っていたそうです。
この後半の話は知りませんでした。

めっきり口数が少なくなり、もう怒鳴る事もののしる事も出来なくなった父の顔を見ながら、何とも言えない気持ちになりました。


生きる意味


不器用な父にとって、お金は愛を表現する手段なのでした。

父はこの数年、二人の孫のために必死で生きた。
父にとって、何よりもイヤで耐えられなかった事を耐えて来た。
母はずっとずっと、父のために生きてきた。
何があっても、何を言われてもひたすら、父に仕えてきた。


ならば私は?

私は何のために生きてきた、と言えるだろうか…

2人の娘たちは?

それなりに一生懸命生きてきた事に疑問はないけれど、
この両親にはかなわないと思いました。


涙が止まらない…



少し前に「三次元に愛はない」というメルマガを書いたことかあります。
一人一人の魂というかスピリットというか、そういう次元が愛だとしても、
三次元でエゴとともに生きる私たちには、愛はないと私は感じています。

愛と間違えやすい、依存や独占欲や思いこみや幻想や執着はあるけれど、
私はそれを愛とは呼びません。

 

それが今回は…


涙が止まりませんでした。

 

父が私や私の子ども達に向けていたものは、
一方的な価値観の押しつけや、呪縛や、侵入や、執着だと思っていました。
そういう父を憎む気持ちも既に昇華されていて、
それは決して愛ではないけれど、それでもいい、と思っていました。
母や私や子ども達の気持ちが、父に届く事はないけれど、それでもいいと思っていました。
父はそういう形でしか、想いを表現できないのだから。

でも、そうではなかったのです。

私たちを理解するとか受容するとか、話を聞くとか気持ちが繋がるとか、
そういう「愛」に近いものは何もないのに、
父は「愛の人」なんです。

「愛」はこんな風に進化し昇華するものなんですね。

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