RRさん、メールをありがとうございます。
RRさんもよくご存じのように、医学的にも教育的にも、自慰は何の問題もありません。
神様の目から見たら…
人が殺し合いをする事や、この地球を破壊し続けていることすら、
神様から自由として許されている事を考えると、
誰にも迷惑をかけることのない自慰が、罰せられると考えるほうが
難しいように思います。
自慰には、なんの罪も罰もありません。
問題があるとしたら、それを罪だと感じる心のほうですね。
たぶんRRさんも、頭では十分わかっていらっしゃるでしょう。
でも、罰が下されるのでは、という気持ちが消えないのですよね。
少し掘り下げてみます。
セックスとは、男女の究極のコミュニケーションというか、
コミュニケーションを超えて一体になる事だと思います。
男性と女性という異質の個体が出会い、我の全くない状態で、
相手を受け入れ、解け合って一体・ワンネスになる。
それは本当に快感です。
神様は人の身体を、セックスを本能的に要求するように作られました。
そうですよね。
性欲はあって普通です。
性欲は、ワンネスへと至る道の一つです。
ワンネスという言葉の意味は、おわかりでしょうか?
簡単に説明しますね。
私たちは二分法の考え方で社会を発展させてきました。
右と左、男と女、上と下、聖と俗、昼と夜、0と1…
対立する両極を考えるという方法ですね。
ワンネスとは、右でもあり左でもあるけれど、
右でも左でもない、両方を含んだ全体性のことです。
男でもあり女でもあるけれど、
男でも女でもない、両極性を超えた所にある全体性のことです。
ワンネスとは、私たちの魂のふるさとでの状態のことです。
たぶん私たちの魂は、その状態に戻ることを求めているのだと思います。
ワンネスを別の言葉で表現するとしたら、「愛」だと思います。
自慰とは、自分が与えられた身体をよりよく知り、
ワンネスへと向かう道の入り口のようなものです。
だから、どんどんするほうがいいと思います。
そしてRRさんは謹慎されるのですが、その方法は、
「初対面の人には会わない・新しい場所には行かない」というようなものですね。
つまり、人と出会うこと、かかわる事をさけていらっしゃる。
これがとても面白いと思いました。
つまり、自慰というワンネスの入り口は、
究極の一体感、他者と深く深く出会うことを目指しているのですが、
謹慎の方法は、他者と全く出会わないような方向ですね。
みごとにバランスがとれています。
でも、RRさんがおっしゃる通り、社会生活を続けるかぎり、
そのような謹慎は不可能です。
というよりは、人は人と関わりたいものなんです。
人は誰かと深くかかわり、愛し愛され、ワンネスの体験をしたいのです。
それが人間として生まれてくる究極の目的かもしれません。
と、こんな風に考えてゆくと、RRさんの本当のテーマは、
人と深く関わる事へのおそれ、愛し愛される事へのおそれ、
ではないでしょうか?
私たちは、一番欲しいもの、何よりも求めているものを得ることを恐れるのです。
不思議ですね。
でも、そうなんです。
RRさんが罪の意識に苦しんだその苦しみの量以上に、
人と深く関わること、愛を体験する事を求め、そして同時に恐れているのではないでしょうか。
そんな事を感じました。 |