| まゆみんの50回以上のお見合い遍歴 69 現実が動かすこと |
さて、不安はあることとして、問題は、私の評価が下ることである。
相手の人に断っていただくのは私の良心が痛まない替わり、勧める立場の仲人さんと
か、他の人を紹介しようと考えてくれているおばちゃんとかの心証が悪くなるのであ
る。
ということは、そんなふうに育てた親、ということで親のあり方にも疑念を抱かれる
のである。
「あの子は断られてばっかりで、こっちも気に入ってないんならええけど、気に入っ
た相手にも断られるばかりというのは、どういうことだろう」(-"-)
(よっぽど実際変なことをやっているんじゃないだろうか)
さがるのが自分の評価だけならまだしも、自分以外のことに及ぶとなると、たとえ親
のことであっても辛い。そこまでの事態となるとは思わなかった。
人のよい私はこの状況を救うべく、自分のささやかな、けれど大切にしてきた「人を
傷つけるくらいなら自分が」という良心と距離を置くことにした。
少し騙すことになるかもしれないけど、(←この辺、まだ自省的)
先に相手に気に入ってもらって、それから考えるという手にでることにしよう。
そして「あんなことをするなんて、姑息な」と考えていた人の気を引く行動を自分で
もやってみることにした。
考えてみれば、それは嫌いな亊としていたからこそ、その手段は実に明確に私自身に
ピックアップされていたのだった。
些細なことでも同意すること、
相手に興味がある、という姿勢を伝わりやすく表わすこと、
相手と視線を交わして嬉しそうににっこりすること、
褒めること
お弁当など持っていき、女性的なところをアピールすること
とりあえず、自分がそれをすることで「負けるような気になること」が嫌いだった。
媚びることは、敗者のやることのように感じていた。
ところが、
そうすると、確かに相手の反応はよくなるのだった。
人間が、そんな単純なことが少し残念に思いながら、
相手に偽りを見せているような自分に嫌気が差しつつも、
もしかしたらそんなふうに単純でいいのかもしれない。
偽りとはいえそれは自分の内から出たもので、それも自分自身であって、
これまでの、純粋に自分の発する想いの原点から動こうとすること事態が
甘い若気の至りの子供のわがままなのかもしれない、というふうにも感じていた。
方向転換を実際にしてみると、そういう成長の時期が来ていたのだ、とも感じるよう
になった。
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頭の中の論理とは別に、実際に起きることには方向を変えるに足る力がある。
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